高機能さんの事3
しばらく天狗のまま好き勝手に過ごしていた高機能だったが、ある時大転換が訪れた。
前任上司の異動が決まったのだ。
入れ替わりに来た後任の上司がロボットである。
この人は、自分がトンチンカンであるにもかかわらず、他人にはやたらと厳しい。
高機能については、以前からよく知っているらしく、仕事も人間性も全くダメだという事を既に理解していた。
だが後に「ここまで酷いとは思わなかったなぁ~」と言っていたので、高機能の不出来さ加減は想像以上だったのだろう。
高機能にとっては、今までのおだてられて持ち上げられての扱いとは全く真逆。
とにかくガミガミ叱る。
おかしな部分はとことん追及し、責める。
高機能が答えられないと、大げさに溜め息をつく。
その後、長いお説教が始まる。
その繰り返しで、今や高機能はすっかり卑屈な人へと大変貌を遂げてしまった。
以前の天狗は一体どこへ行ったのか?
ロボットに説教されている間は言葉に詰まり手がプルプルと震える。
答え方が常におうむ返しで、どもりながら返答するようになった。
実は、前任上司だった頃にはこの症状は全く見られなかった。
ロボットに代わってから、やたらとおうむ返しで返答してくるようになったのだ。
症状が悪化しているのかもしれない。
ロボット相手だけでなく、他の人相手でもこの症状はよく見られるようになった。
以前は必ず前任上司と二人一組で行動しているような所があったが、今のロボット上司は面倒見が良い方ではないので、突き放して接している。
良く言えば、個人として対等に接しているというか・・・良く言い過ぎかもしれない。
どちらかと言うと、下の人に目を掛けて引っ張って行くタイプではなく、自分が上から気に入られようとしている人である。
なので、部下に対してえこひいきや特別かわいがる事はしないし、失敗を大目に見る事もない。
感情的ではないので、経緯を見て判断せず出来上がりだけを見て判断する。
とにかく、どストレートに結果で評価する。
期限までに仕上げる事ができなかったが、諸々の事情があったからしょうがないよね、頑張って仕上げたんだよね、などとは決して思わない。
どんな事情があれ、必ず期限までに仕上げていなければもう評価はバツなのだ。
という事は、高機能にとってこれほどの天敵がいたであろうかというくらい、相性は最悪なのである。
そして現在は、すっかりショボくれた感のある高機能の存在感はほとんど無くなってしまった。
前任上司の頃は色々と引き上げてもらって、得意先の接待などにも一緒に参加していたようだが、今は見る影もない。
高機能さん?そんな人いたっけ?というくらいの存在になってしまった。
だが、相変わらず財務資料の作成の仕事は引き続き行っているため、月に一度の会議では高機能が自分で発表しなければならない。
コレが今、社内での問題点になっている。
以前は前任上司が高機能の機嫌を取りつつ、なんとか会議資料の作成まで漕ぎつけていた。
支社長への説明でも、フォローしながらやっと仕上げてきたものを、今は高機能一人で誰の助けもなくやらなければならない。
ロボットが手伝うワケがない。
そして案の定、毎回全く出来ておらず、毎度ロボットから叱られているのだ。
ちなみに異動でロボットに代わってから1年経つ。
かろうじて、救いといえば支社長も交代した事くらいだろうか。
前任上司が居なくなってから約半年後に支社長と他部署の管理職が交代した。
以前のイヤミな器の小さい人ではなく、陽気で人懐っこい温和な支社長に代わったのだ。
他部署の管理職も、以前のような失敬な荒っぽいハラスメント男ではなく、落ち着いた人に代わった。
このおかげで、私はすっかり職場の空気が一転して透き通ったような気がしたのだ。
だが、高機能にとっては澱んだ暗黒の日々になってしまったようだった。
高機能さんの事2
それからしばらく経った頃、徐々に様子が変わってきた。
どうやら、周りの人にも高機能の実態がわかってきたらしかったのだ。
またサイテーと言えばサイテーなのだが、どうやら前任上司が仲良くなった他部署の社員に高機能の事をグチっていたようだった。
それに加えて、おばちゃんが高機能から直接被害を受ける事が増えたのだ。
ある時、おばちゃんが鬼の形相で私一人の時に部署の部屋へやってきて、高機能の事でモンクをたれて戻って行った。
毎日夕方に、私がいる部署の部屋へ契約している宅配業者が集荷をしに来る。
他部署の人たちは、送りたいものを我が部署の所定の場所に置いておく事になっている。
その日おばちゃんは、そろそろ集荷時間というギリギリの時に出したい荷物があったらしく、高機能に内線で宅配業者がまだ来ていないかどうか確認したらしい。
その時点ではまだ来ていなかったので、高機能もまだと答えたようなのだが、おばちゃんが荷物をかかえて来たときには既に宅配業者は集荷を終えて去った後だったのだ。
その時、ちょうど私も前任上司も席を外していて、部屋にいたのは高機能だけだった。
おばちゃんとのそういったやり取りが事前にあったなら、宅配業者に待ってもらうなり、おばちゃんに宅配業者が来ている旨を連絡するなり、何かしら行動すると思うのだが、高機能に限ってそんな事はないのだ。
思いつきもしないらしい。
おばちゃんは、「goruーgoruさんが大変って言ってた意味がやっとわかった。一事が万事、この調子なんだろうね」と言っていた。
今頃わかったのか遅いんだよと思ったが、とりあえず理解者が増えたことで私の気持ちは少し軽くなった。
おばちゃんが被害を受け出してからの高機能のダメさの広がり方はあっという間だった。
もう、皆が「ああ、高機能さんだからしょうがないよね」という空気になっていた。
ただ、前任上司から「高機能にはキツク当たらないでくれ」というお達しが出ていたようで、誰も直接高機能に当たる人はいなかった。
その為、相変わらず高機能自身は何かに守られたような立場でのほほんと仕事をして、『周りに気を配る事の出来ない人』のまま過ごしていた。
それどころか、誰からも叱られない上、前任上司からは相変わらず「うん、よくできたね~」「さすが高機能くん」などと常におだてられていた為、少々天狗になっている節があった。
ちょっとした雑用などは「なんでオレがやらなきゃいけないんだよ」といった態度で、全く非協力的だった。
ある時、誰かが高機能に仕事で頼みごとをしていて、「まぁ、しょうがないからやってやってもいいけどね」と答えている場面に遭遇した時には、本当にビックリした。
この時、完全に前任上司の教育の失敗だと確信したのだ。
高機能さんの事1
これを詳しく書くと、この病気で悩んでいる人に悪い様な気がしてあまり詳しく書く気になれなかったのだが、いよいよ本格的にマズい状況になっているので書く事にする。
高機能さんが我が支社に配属になってすぐ、当時の上司が仕事の割り振りを決めるというので、ミーティングを行った。
その時にわかった事は、高機能さんはほとんど高機能さんの前任者がやっていた仕事をやった事がなかったという事だ。
まぁ、まずその場の全員が「あー、引き継ぎが大変」と思った。
しかも、当時の私は親の介護をしながら働いていて、勤務形態が今とは違っていた。
休みがちだったり早く帰らせてもらったりと、一応フルタイムとはいえ不安定な勤務状況だったので、一人と数えられないような状態だった。
高機能さんの前任者が本当によく出来る人で、ほとんどの業務を一人でこなしていて、私はちょっとそのお手伝いをしている程度だった。
支社内で誰もが高機能さんの事を知らなかったので、まさか高機能発達障害だとは思っていなかったのもあって、最初はちょっと大変だけど、慣れたらテキパキこなしてくれるだろうと思っていた。
なんといっても、色んな資格を持っているし、やった事がない仕事でも大体の要領はわかっているだろうと思っていたのだ。
ところが、全くそうはいかなかった。
まず仕事に関しては、当時の支社長から毎日のようにガミガミ怒られて、まったく改善されなかった。
当時の直属の上司も、高機能さんをフォローしつつもお手上げで放置していた。
仕事に関してはそんな感じで全くのダメダメだったのだが、仕事以外のちょっとしたコミュニケーションでも類を見ない不思議さを発揮していた。
不思議ちゃんどころの話ではない。
なんでそんな返事なの?なんでそこでそう動く?など、とにかくおかしな反応が多々あった。
特徴としては、まず人の為に何かをしてあげるという発想が皆無である。
そんなに大げさな事ではなく、例えば、別の人宛てに届いているFAXをその人の机に置いておくという事が出来ない、というか、頑なにしない。
自分の分だけ抜き取って、後は元に戻す。
郵便物を郵便受けに取りに行って、自分宛ての物だけを抜き取って、後はまた郵便受けに戻しておいたり。
私が電話中に来客があってもしらん顔で席を立たず、私の電話が終わるまで平気で待たせたり。
運送会社が荷物を配達してきても、知らん顔で応対しなかったり。
気が利かないというのともまた違う、妙なところがあった。
仕事上でも、こちらから尋ねないと何も言わないし、やらない。
こちらが待っている事でも、「もう出来た?」「アレ、届いた?」とまずこちらから聞かないと、自分からは全くなにも発信しない。
毎度のことである。
一度、イライラして「出来てるんなら聞かれなくてもこっちに渡して」と怒った事がある。
ところが、本人は不思議そうに「なんでそんな事しないといけないんだ?」という表情でキョトンとしているか、私の言い草にムカついてワザとバンッと音をたてて引出を閉めたりと、物にあたるか。
全くやろうとしないクセに、注意されるとプライドが傷ついて腹が立つらしい。
だが、こっちに支障が出てダメダメだと思ったので、位は上司であろうが何であろうがお構いなしに、ガミガミ言うようになった。
「こっちの方が急ぐから先にやって下さい」
「今日中にこっちに下さい」
「必ず明日までに渡して下さい」
などなど。
そんなこんなで、勤務時間中ずっと顔を突き合わせている私は毎日グッタリしていたのだが、別のフロアにいるおばちゃんや別部署の人たちには、全くこの苦労が伝わらなかった。
実態を知らない人からすると、高機能は口下手で、一見するとドンくさそう。
でも、一生懸命頑張って仕事をしている素直で朴訥な人物に見える。
整理整頓が出来ないので、机の上は散らかり放題。
たまに部署の部屋に入って来る人から見れば、その散らかり具合が大量の仕事に追われてすごく忙しそう、高機能さん、大変そうだなぁ、頑張ってるんだなぁ、という風に見えるらしかった。
なので、まさか郵便物を自分の分だけ抜き取って、残りは元に戻すようないやらしい人間には映っていなかったようだ。
私が高機能さんの相手をするのが大変だとグチをもらすと、別部署のほぼ全員
「そんなイジワル言わずにやってあげればいいじゃない」
と言うのだ。
その代表がおばちゃんだった。
おばちゃんは、自分が高機能から直接被害に遭うまでは、ずっとそんな調子だった。
「高機能さん、一人で大変そうだから少しは手伝ってあげれば?」
「あなたは普段から早く帰ったり休んだりしてるんだし、文句言わずにもっと高機能さんに感謝すべき」
などなど。
部署の部屋が分かれていたせいで高機能の仕事っぷりが皆から見えず、逆に当時の上司と私が高機能に仕事を押し付けているように見られていたのだ。
ところが、上司が次の上司に代わってから変化が起きた。
例の「前任上司」である。
人事異動で前任上司に代わってから2ヶ月後、ずっと介護していた私の親が他界した。
その1ヶ月後、それまでは派遣社員として勤務していたのだが、丁度派遣期間満了の時期でそれ以降は直接その会社でパートタイマーとして契約勤務する事になった。
それを機に、高機能が抱えていた仕事の面倒な物のほとんどが、全て私の方へ振られた。
高機能に一点集中させる為である。
その一点集中しなければならない仕事とは一体何なのか?
要するに、営業計画・予算管理などの、経営計画の財務資料の作成である。
我が部署はつまり、総務・経理を兼ねた部署であり、支社内の財務管理は高機能が任されている状態なのだ。
当時の支社長が、高機能の作る資料に不満だらけだった。
前任上司に、高機能がまともな資料が作れる様に教育しろという命令が下ったのだ。
高機能の前任者のように、あれもこれもやりながら尚且つ予算管理の資料も完璧、などという神業は高機能にはとても無理である。
だが、高機能に資料作りをやらせなければならない。
となると、その他の仕事を排除してそれのみに集中させるしかないという発想なのだろう。
私の怒りを買ったのは、その他の仕事を一切合財私だけに負わせたという点だ。
自分も何某かを受け持っていれば、私の協力体制も少しは違っていたかもしれないのに、一切の説明もなく、高機能から取り除いた仕事はすべてそのまま私へとスライドされた。
しかも、私がやるのが当然とばかりに振ってきた。
だが、前任上司は知ってか知らずか、結局、請求売上関係、支払関係、当座管理、現金管理などの経理に関するもののほとんどを私に振ってしまった為、高機能が余計に予算管理資料を作成する為の資料から遠ざかってしまったのだ。
今度は、高機能がそこから吸い上げて、資料作成の為の資料を自分で作る事が出来ないからと、それすらも私にやらせる事になった。
一体、高機能の仕事は何なのか?
人がお膳立てした数字を、元々高機能の前任者が綺麗に整えた書式の表に入力するだけだったのだ。
だが、そこからが高機能にとっての佳境だった。
資料を作るだけなら簡単なのだろうが、支社長に対して納得を得る説明をしなければならない。
実は、その分野が高機能にとって一番の鬼門なのである。
しゃべったら死ぬ病気にでも罹っているのかと思うくらい話が出来ない。
しどろもどろになって、要点をまとめる事が出来ず、何を言っているのかサッパリわからない。
まず相手の気持ちが汲みとれないので、わかりやすい説明が出来ない。
質問されても、相手が何を疑問に思っているのかという推測ができないので、適切な答えが返せず、トンチンカンな返事をする。
その繰り返しで、当時の支社長は怒り狂っていたのだ。
だが、前任上司の当面の目標は、「高機能が支社長から怒られないようにする」というものである。
支社長の怒りを買わなければ何でもアリだとばかりに、めちゃくちゃな仕事の割り振りをし、結局支社長への資料説明は前任上司が高機能の横にピッタリついて、フォローを入れながら毎回説明して終えていた。
フォローというより、ほとんど口の上手い前任上司が説明して終わっていた。
客観的に見て全く高機能に上達は見られないのだが、支社長からすれば満足のいく説明を受ける事ができたので、ほとんど怒られることはなく、高機能の事で不満を漏らす事はなくなった。
自分が良ければそれでよしとする、この支社長の姿勢にもつくづくゲンナリした。
支社のトップでありながら、周りの大変さなど全く考慮できない、本当に器の小さい最低な人だった。
そんなこんなで、私の方が仕事に追われるわ、トンチンカンな動きをする高機能を相手に進めなければならないわで、超絶忙しくなってしまった。
こちらの方が忙しくなっても、相変わらず高機能が大変そう、だけど頑張ってるという印象はなぜかそのままだった。
絶縁リスト2
前回のエントリー記事でも書いたように、学生時代はずっとクセのある同級生に振り回されていた。
高校を卒業し、そのまま併設されている短大へ進学した。
だがこの時、我が家の経済状況は火の車で、本当なら進学などしている余裕はなかった。
実は、高校に入ってからも再度転居したのは、父親の商売がうまくいかず店をたたむ事になったからなのだ。
それでも両親(というか母)は、なんとか工面して私立の女子校にそのまま通わせてくれた。
そのかわり、小遣いはゼロ。
バイトをしようにも、学校自体がアルバイト禁止で沿線でも有名だったので、そもそも雇ってもらえず、雇ってもらえてもすぐにバレる。
家計の内情を薄々理解していたのと、少しでも自分の小遣いが欲しかった私は、高校卒業後はどうしても就職したかったのだが、母がせめて短大は出てくれと泣きついてきた。
そして、母がまたどうやってか工面してきて、結局そのまま進学した。
またこの短大時代が本当に暗黒だった。
ちょうどバブルで世間が浮かれている真っ最中だった。
同級生はみな裕福な家庭のお嬢様で、厚化粧とブランド物に身を包んで登校していた。
私だけが毎日ジーンズにトレーナー、スッピンという地味で安っぽい姿で登校して、逆に悪目立ちしていた。
だが、短大からはアルバイトも解禁なので、ほとんど毎日アルバイトで過ごしていた。
それでもバイト代が全て自分の小遣いになるかと言えばそうはいかず、やはり無理をして学校に通わせてくれていたシワ寄せはこちらにやって来る。
学校へ支払う分は親がなんとか工面できたが、他にかかる費用はすべて自分のバイト代で賄うしかなかった。
文房具代、教科書代、交通費、衣服代、その他諸々。
同級生達が毎日合コンや旅行の相談をしているのを横目に、私は毎日学校からバイトへ直行の日々だった。
その同級生達から何度か合コンや飲み会に誘われた事もあるが、毎回断っているうちに誘われなくなった。
バイトで忙しいのもあったが、金銭的な余裕もないし、着ていく服もない。
当時の同級生たちが夜毎遊び歩いていたような、某有名ディスコ(懐かしい(°▽°))などに入ろうものなら、入口で黒服とやらいう人に止められて入れない。
まぁ行けるワケがないのだ。
そんな状態だったので、毎日クラスで顔を合わせるから話すというだけの友人はいたが、一緒にどこかへ遊びに行ったり悩み事を相談するような友人らしい友人は一人も出来なかった。
短大は4年制の大学とは違い、2年間しかない為、時間割がタイトで授業がぎゅう詰めになっている。
短大にもよるだろうが、サークル活動も活発ではない為、親しい先輩や後輩が出来たり、別のクラスの友人が出来たりという事はほとんどない。
しかも、私の場合2年間のほとんどをアルバイトで過ごしていたので、無理をして通わせてくれた親には悪いが短大での記憶はほとんどない。
そんな記憶にも残っていない短大時代でも、例のクセのある子の絡みは続いていた。
その子も同じ短大に進学した為、学科は違っていたが行き帰りで顔を合わせる事がある。
その為、色んなものに誘われて断るのが大変だった。
いちばん辟易したのが卒業旅行だった。
卒業間近という時に、学生最後の思い出に旅行に行くから一緒にどうかと誘われたのだ。
行先はディズニーランドだった。
卒業後も、就職ギリギリまでバイトをしていた私は到底無理だった。
なので、最初は「ずっとバイトが入ってるから無理」と断ったのだが、向こうがやたらと粘る。
「なんとか調整したら行けるんじゃないか」とか「最後くらい一緒にどこかに行こう」などとしつこく誘ってくる。
そもそも金銭的にも余裕がなかったので、日程を調整したからどうのという問題ではなかったのだ。
あんまりしつこいので、とりあえず「考える」と返事をしておいた。
すると、数日経ってから
「旅行どうするか早く決めてくれないかなぁ。goru-goruが行かないなら行先をディズニーランドじゃなくて北海道のスキー旅行にするつもりなんだよね。そろそろ予約取らないとマズいし、いつまでも返事延ばされると困るんだけど」
と言われた。
だーかーらー、最初に断ったじゃないかよ、と思いながらも、ここまで急かされたら逆に再度断りやすいと思い、
「ああ、そうなんだ。そういう事なら私やっぱり無理そうだから、皆で北海道楽しんで来て。返事引き延ばしてごめんね」
と、はっきり断った。
しかし、私が行かないなら北海道って何なんだよ。
本当は皆北海道に行きたかったけど、私のために安上がりで行けるディズニーランドにしてやったと言いたいのだろーか。
まぁ、これではっきり断ったしスッキリした気分でいたのだが、また数日経ってクセのある子から連絡があった。
「どうしてもダメかなぁ?働き出したら遊びに行く時間がなくなると思うし、これが最後だと思うんだよね。思い出にもなるしさー、一緒に行こうよ〜」
と、また振り出しに戻っていた。
一体何度断ったら決着するのか、この話は。
特に一緒に行きたいとも思っていなかった私は、あまりのしつこさにイライラしながら再度はっきりと断った。
それでやっとあきらめたのか、予約の日が迫っていたのか、もう誘ってくる事はなくなった。
後々この話の真実を聞いて呆れた。
実はクセのある子の幼馴染が関係していたのだ。
よくよく聞いてみると、幼馴染とはいえ、好き好んでクセのある子と行動を共にしていたワケではなかったらしいのだ。
幼馴染は幼馴染で、日々クセのある子に振り回されて辟易していたところ、私という緩衝材が現れたおかげで少し被害が緩和されていたようだ。
卒業旅行のメンバーには幼馴染もいて「goru-goruちゃんも一緒じゃないと行きたくない」とゴネていたらしい。
クセのある子にしてみれば、私はどうでも良いが幼馴染の機嫌を取るために必死で私に誘いを掛けていたのだろう。
当時はこんなカンジで、実際はイヤイヤながらも表面的な付き合いという関係の友人しかいなかった。
短大に進学してからは、高校時代に仲の良かった同級生達とは進路もバラバラになり、私もバイトバイトで忙しくてすっかり疎遠になってしまった。
絶縁リスト1
今、私生活でちょっとした窮地に立たされている。
そういう時、少し一息ついてボーッとしていると、なぜか昔のしょーもない事を思い出したりする。
私の場合、若い頃の友人関係をよく思い出す。
良い友人に恵まれなかった私は、若い頃の友人とはすっかり絶縁状態になっている。
なので、よく「幼稚園の頃からのくされ縁」などと言う人の言葉を羨ましくも思うのだ。
覚えているうちの一番古い記憶で最初に仲良くなった近所の女の子は、少し離れた所に住んでいたその子の従妹と結託して、私を仲間はずれにするようになった。
ある日、その子達にいじめられて帰ってから誰とも遊ばずに過ごし、そのまま幼稚園に入園した。
その時から幼稚園で出来た友達と遊ぶようになり、その近所の女の子の事はすっかり忘れ、いつの間にかその女の子の家は引っ越していて無くなっていた。
小学校に上がると、幼稚園の時の友達がみな別の小学校で離ればなれになり、全く顔を合わせる事がなくなった。
小学生の時は、小学校で出来た新しい友達と仲良くなり、その子たちとよく遊んでいた。
だが、その小学校の6年間でも2年毎にクラス替えがあり、必ず仲の良かった子とは別々のクラスになっていた。
私だけが別のクラスで、他の仲良しグループだった子たちは皆同じクラスという事もあった。
なぜか、私だけがいつもクラス替えがある度に、また一から人間関係を作っていかなければならず、誰とでもすぐに打ち解けて仲良くなれる方ではなかったので、子供ながらに本当にメンタル的にしんどかったのを覚えている。
まったくバラバラの所から一つに集まったというわけではなく、ある程度出来上がった集団をいくつかに区切って組み合わせを変えただけの状態なので、私以外の子たちはすでにグループが出来ていて、その出来ているグループに一人で入って行くのが本当に大変だった。
中学に上がってもほぼ同じ様な状況だった。
相変わらず、私だけがまた別のクラスで、他の子は誰かしら知っている子や仲の良かった子と同じクラスになっていた。
そして、私は中学3年に上がる時に、親の仕事の都合で転居した。
初めて"転校"という物を経験したのだが、その転校先の中学が2年から3年に上がるときにクラス替えをしないらしかった。
すっかり出来上がっているグループ割りで、しかも中学3年の受験生だ。
その中学自体、転校生というものが珍しかったらしく、いつも男子生徒にからかわれ、女子生徒は誰もかばってくれず、仲間にも入れてくれなくて、いじめというほど酷くはなかったが、毎日本当に学校に行くのが嫌になっていた。
そこで新しく友達を作る機会はまぁ無かった。
その反動か、高校時代は本当に楽しかった。
この頃、家はまだ余裕がある時期だったので、親に頼んで私立の女子高に入学したのだ。
本当に皆がバラバラの所から集まっていたので、出来上がったグループに入っていく苦痛もなく、クラス全員が仲良くなって毎日学校に行くのが楽しくなっていた。
同じクラスに同じ沿線の仲の良い友人ができ、行き帰りはいつも一緒だった。
ところが、また親の都合で転居する事になった。
学校を移るほどの距離ではなかったが、通学沿線が変わってしまった。
ちょうど、同じクラスに同じ最寄駅の生徒が一人いた。
全体が仲良しクラスではあったが、その中でもほとんど話した事のない子だった。
あー、またか~、と思った。
どうしても、そういう方向になる運勢なのかもしれない。
とりあえず、朝、駅で顔を合わせるので、転居して最初の頃はその子と一緒に通学していた。
だが、よくよく話してみると本当に我の強いクセのある子で、自分の方がしんどくなって電車の時間を2本早くズラす事にした。
早く通学するうちに、また別の反対方向から通っている同じクラスの子数名と学校の最寄駅で会うようになって、朝その子達と通学するのが楽しくて、結局卒業するまで2本も早い電車のまま通学を続けた。
朝はそれで良かったのだが、帰りは同じ最寄駅のクセの強い子とどうしても一緒になってしまい、帰り道はガマンの日々だった。
そして、その子はこちらが避けても避けてもずっと関わってくる事になるのだ。
2年のクラス替えでその子とはクラスが別々になった。
クラスが別れてもその子から一緒に帰ろうと言われ、断り方もわからずズルズルと言われるままだった。
全校生徒の中でも私と同じ最寄駅の生徒は5名程しかおらず、同じ学年では3名だけだった。
私と、そのクセの強い子と、クセの強い子の幼馴染だった。
幼馴染は別のクラスで、私が転居先の駅から通うようになってすぐにクセの強い子から紹介された。
その幼馴染は私に向かって「これからは一緒に学校行こうね」などと言ってくれていたが、朝は私の方が脱落してしまった。
ある日の放課後、どうしても気分的にクセの強い子と一緒に帰りたくなかったので、「今日は急ぐから先に帰るね」と伝えてサッサと帰った。
ところが、乗り換え駅で電車を待っていた時、後ろから誰かに背中をつつかれ、振り向いてビックリした。
そのクセの強い子が立っていたのだ。
「びっくりしたぁー、えー、なんでいるの??」
と尋ねると、今日は珍しくホームルームが早く終わったと言っていた。
クセの強い子のクラスは終わりのホームルームが長くて、いつも私は待たされていたのだ。
幼馴染も別の用でいないから、急げば間に合うと思って追いかけて来たと言う。
そして、なんで先に帰ったの?と追及が始まるのだ。
これさえなければなぁ、と毎度思っていた。
「なんで今日急いで帰ったの?何か用事があるの?ねぇ、なんで?」
本当は特に用などなかった私は適当に言い訳を繕って
「あー、えーっと、FM放送で録音したい放送があるから、早く帰っておきたくて・・・」
などと答える。
すると
「何時から?なんていう番組?誰が出るの?」
と次から次へと質問責めにしてくる。
私はしどろもどろになりつつ、
「いや、えーっと、番組名はわかんないんだけど、時間は5時からだったかな、ちょっと覚えてない。◯◯の新曲がかかるかもしれないなぁと思って~・・・」
と、また誤魔化しつつ答えると
「5時からだったら一緒に帰っても間に合うじゃん。なんで先に帰るの?ねぇ、なんで?アタシと一緒に帰りたくないから?」
とさらに追及してくる。
そうだよ、一緒に帰りたくないからだよと思いながらも
「いや、そういうワケじゃなくて~、録音テープがあったかどうかも見てみないとわからないし、無かったら買いに行かないといけないから・・・」
とおそるおそる答える。
やっと納得したのか、何か不審に思っているのか
「ふぅ~~ん。まぁ、いいや。私、駅前の本屋さんに寄って帰りたいから付き合ってね」
と、平気でほざいてくる。
「いや、私、FM放送があるから寄ってる時間ないんだけど」
と言うと、
「えー、なんで?いいじゃん、ちょっと本屋に寄るだけなんだから、間に合うでしょ?私が行きたいんだから行くよね?」
などと、ワケのわからん女王っぷりを発揮する。
ほんと、カンベンしてくれー、と思いながら
「ひょっとしたら4時からだったかも。時間はっきり覚えてないんだよね。早く始まるかもしれないから、今日は寄らずに帰るよ」
と、なんとか逃げ帰った。
せっかく一人でのんびり帰路に着こうかと思っていたのにすっかりパー。
幼馴染の子がいれば少しは緩和されるのだが、このクセの強い子はいつもこの調子で自我を主張しまくっていた。
学生生活での暗黒面は、彼女によるところが大きかったのだ。
ドラセナが枯れた
職場の会議室に置いてあるドラセナがどんどん枯れている。
寒さのせいなのか、水のやりすぎか。
観葉植物の中でも最も丈夫で育てやすいと言われている、ドラセナ・マッサンゲアナ(幸福の木)である。
丈夫だからと油断して水やりに気を使っていなかったのもあるが、一番の原因は温度だろうと思う。
会議室に置いてあるのだが、会議がない日はほとんど誰も立ち入らず人の気配がない。
もともと陽当たりの悪い方角にある。
ブラインドを開けても直接日は当たらず、部屋を使用しなければ一日中ヒンヤリしている。
にもかかわらず、最強寒波で一番寒かった日に水やりをしてしまったのだ。
一つの鉢に、小さい木と大きい木を組み合わせて5本程植えられているが、小さい木は見事に全滅。
葉がまっ茶色になって、新しく出ていた新芽も成長する事なく茶色にカラカラになっていた。
大きな木は、まだ緑の部分が大半なので、とりあえず枯れた葉を取り除いた。
すっかり枯れた小さい木をどうしたものか、考えている。
それだけ抜くと、支えというか詰め物というか、そういう役割のものが無くなって、他の木がグラグラすると思うのだ。
それでなくても発砲スチロールの詰め物で支えてある。
どうやって植え替えたらいいんだろーか?
もうすぐ暖かくなるので、もう今さら置き場所を変えずとも良いかもしれないが、一応ロボットに聞いてみた。
「どこか他に置き場所無いですか?」
返事は
「ああ、じゃあ倉庫くらいかな」
だった。
余計に枯れるわーーー!
そして続けて
「どうせ枯れて酷くなったら倉庫に移すしね。倉庫にしばらく置いてから捨てればいいし」
と、平気で言う。
思わず
「本当に酷い言い草ですね」
と、真顔で返してしまった。
本人は「わははははは」と冗談と受け取ったのか笑っていたが、私は益々軽蔑してしまった。
観葉植物に一体何の罪があるんだ。
その感情は仕事の上で発揮してくれよと思ってしまった。
酷くなったら倉庫行き。
そういう人、目の前にいるじゃないか。
緑の鳥
以前、緑色の野鳥を見て、「アオジ」と「ノジコ」の事を書いた。
実はこの時期、もう一種よく見かける緑色の野鳥がいる。
「カワラヒワ」である。
毎年、3月になると群れでやってきて元気よく鳴いているのだが、昨日はやたらと暖かかったからか、もう鳴いていた。
最初にこの鳥を知ったのは、鳴き声からだった。
朝の通勤途中の道で、ホイッスルとエレキギターを組み合わせたような(??)珍しい鳴き方の鳥が鳴いているなぁとある時ふと気づいた。
その後、毎朝同じ鳥の声が聞こえるのだが、姿はまったく見えなかった。
ある朝、その鳥の声が聞こえる辺りの公園の芝生に小さい鳥が群れでチョコチョコ歩いていた。
スズメだろうと思って何気なく通り過ぎたとき、一斉に群れが飛んだ。
その時、光の加減でクッキリと緑色の鳥だという事がわかった。
スズメじゃなかったのかと、家に帰ってから早速調べてみた。
その時に、いつもの鳴き声と緑色の鳥が結びついたのだ。
その緑の鳥は『カワラヒワ』で、"鳴き方は「キリキリビーン」や「コロコロビーン」など"、と書かれていた。
緑とは言っても、鮮やかなグリーンではなく茶色がかったグリーン系で、羽の一部の黄色の方が目立つかもしれない。
全体的には緑茶色というかうぐいす色というか。
うぐいす色といえばうぐいすではなくメジロを思い出すが、そこまで鮮やかなグリーンではない。
うぐいすがなぜかうぐいす色ではないという不思議。
そして、キリキリビーンという鳴き声は、私には「ピリリリ ピリリリ ギュイーン」と聞こえるのだ。
一度、「ギュイーンと鳴く鳥」で検索してみたが、さっぱりだったw
一般的にはギュイーンとは聞こえないのだろう。
あのホイッスルとエレキギターのような鳴き声の鳥と、緑茶色の鳥は同一の鳥だった。
この鳥もアオジと同じでわりとよくいる鳥らしいのだが、初めて見て正体が判明したときはちょっと感動した。
今日は昨日とはうって変わって急激に気温が下がったのだが、朝の通勤途中のいつもの場所で「ピリリリ ピリリリ」という鳴き声は聞こえていた。
3月に入って寒さが少しマシになったら「ギュイーン」と元気よく鳴きだすはずだ。