もう一つの胡蝶蘭クライシス
会社事務所に9鉢もやって来た胡蝶蘭。
ラッピング問題で危機に瀕したのだが、その後の乾かしぎみの管理のおかげで、無事花を終える事が出来た。
その中の一鉢が、根元から黒く腐った様になってダメになってしまった。
花は最後まで咲かせてくれたので、花が終わってから植え替えずに処分した。
お疲れ様でした。
残りの8つは、なんとか健康を保っている様だったので、時間が出来たら植え替えようと思っていた。
ところがある日、一番健康体の一鉢が無くなっていた。
誰ともなく尋ねると、ある男性社員が
「持って帰った」
と言う。
以前から、
「花が終わったら3つ目の節の所で切ったら良い」とか「すぐに植え替えしないとダメ」とか、胡蝶蘭について詳しそうな事を言っていた人だった。
詳しい人なら安心と思い、
「あ、そうなんですか〜、じゃあ、ちゃんと植え替えてあげて下さいね」
と、今まで世話してきた者としては、ホッとした気持ちで答えた。
それから2週間ほど経った頃、また別の鉢が無くなっていた。
また誰かが持って帰ったのだろうか、と尋ねると、前回持って帰ったと言っていた人が、
「ああ、アレね、また貰ったから」
と言う。
一人で幾つもの鉢を世話をするのは大変なので、引き取って貰うのは助かるのだが、その人はそんなに持って帰って大変じゃないのだろうか?
現在ある胡蝶蘭の鉢には、どれも3株ずつ植わっている。
鉢を一つ分植え替えると、植木鉢が3つ出来る事になる。
「前の分と合わせたら、植え替えた鉢が増えて大変じゃないですか?奥様がお世話されてるんですか?」
と訊いてみた。
すると、
「ああ、前のヤツねー枯れちゃったんだよね〜。だからまた貰って帰った」
と平然と答えた。
は?
一番健康体だったのに何故枯れるのだ?
しかも、私より良く知ってるんだから、植え替えもバッチリだったはずだろー。
なんとなく里子に出したような気分だった私は、頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。
さらにその人は続けて、
「自宅には持って帰ってなくて、自分で育ててるんだよ」
と言う。
この人は、自宅から職場までが中途半端に遠い上、夜間勤務がある為、会社で社宅として借り上げたアパートに単身赴任という形で住んでいる。
その社宅で、自分で世話をしているらしいのだ。
だが、胡蝶蘭について詳しいんだから、枯らしてしまう意味がよくわからなかった。
なんとなく怪しさを感じて、色々と追及してみた。
結果はサイアクだった。
よく知っている様な事を言っていたのは、ただの知人からの受け売りで、自分では胡蝶蘭の栽培などやった事もない、というのが真相だった。
「なんで枯れたんでしょうね。ちゃんと水苔で植え替えたんですよね?」
と訊くと、
とのたまう始末。
ええ?そこから??
と、更に衝撃に襲われる私。
「一体どんな風に植え替えたんですか!」
と、おそらく鬼の形相で問い詰めた為、しどろもどろで答えるその男性社員。
「だって、あれ鉢から出したらビニールの入れ物に入ってただけだったよ?」
と3回ほど同じ事を言っていた。
結局、はっきりとどんな植え方をしたのかは聞き出せなかったのだが、まともな処置が出来ていない事は明らかだった。
せっかく危機から救った胡蝶蘭が、こんな事でダメになるとは思わなかった。
しかも、一番良く育っていて、新しい葉が伸びていた鉢だった。
後から持って帰った鉢の株の命も、風前の灯火。
「とにかく、ちゃんと水苔で植え替えして下さいね」
とキツく言っておいた。
そこでふと思い出した。
胡蝶蘭には、水苔で植え付けてある場合と、バークチップで植え付けてある場合がある。
それぞれの蘭農園のやり方で違っているらしいのだ。
植え替える時は、水苔で植えてあるものは水苔で、バークチップで植えてあるものはバークチップで、というのが定番の様だ。
そこで尋ねてみた。
「持って帰った鉢は、何で植えてありましたか?水苔ですか?バークチップですか?」
「ええと、あれ、鉢から出したらビニールのヤツに入ってて〜・・・」
もう、お話にならなかった。
怒り過ぎて次の言葉が出なかった。
こともあろうか、その人は
「次はこっちのヤツを持って帰ろうと思ってるんだよね〜」
と平然と言う。
後に持って帰った鉢も、既に死にかかっているのだろう。
目の前で私が鬼の様に怒っているのに、どの口が言うのだろうか。
怒りのあまり、
「自分で植え替えるんで、勝手に持って行かないで下さい!」
と言うのが精一杯だった。
数が多い為、自分では世話をしきれない。
だが、みすみす枯れさせる人に渡すのは忍びない。
しかも、この人は枯れてしまう事を何とも思っていない。
また次の鉢を持って帰ったら良いだけ、という態度である。
その次の鉢は、一体誰のおかげで存在してると思ってるんだ。
なんで、育て方を自分で調べないのだろうか?
私には、まったく理解出来ない。
取り敢えず、「勝手に持って帰るべからず」と釘を刺す事で、怒りを静めたのだった。