ねむの木が消えた
我が家から駅までの通勤途中に、大きなねむの木があった。
そのねむの木が、つい先日、切られてなくなっていた。
毎年、梅雨時になると、ピンクのハケ状の花を満開にしていたのに、今年はそういった事情で、満開の花を見ることができない。
何故切ることになったのだろうか。
そもそも切ること自体が残念でならないのだが、せめて花の時期が終わってから切ることが出来なかったのだろうか。
あそこまでの大きさになるには、きっと時間がかかっているだろうと思う。
実は私がそのねむの木を意識し始めたのは、せいぜい5、6年ほど前なのである。
このねむの木、ちゃんとした植え込みや土手に生えていたわけではなく、小さな川(というか、大きな用水路)の土が溜まって岸のようになった部分に、川にせり出すように生えていた。
それまでは、そんなに大きく育っていないからというのもあるのだが、私の生活リズムのせいで、まったく目に入っていなかった。
ところが、その生活リズムが変わったことで、毎日観察するようになっていた。
7年ほど前までは遠方の会社で働いていたため、早朝、まだ薄暗い時間に家を出て、すっかり暗くなってから帰宅する毎日だった。
ところがその後、勤め先が変わって近くなったため、日が昇ってから家を出、まだ明るい時間に帰宅するようになった。
そのため、周りの景色がはっきりと見えるようになり、その小さな川にかかった橋を渡る時に、はっきりと木が見えるようになったのだ。
その木自体もどんどん成長を続け、生えている地面から3、4メートルほどの高さの橋を超えるくらいになっており、その木から橋までの距離も数メートルほどの距離で、橋を渡っているときに、丁度目の高さに枝があって、こんな立派な木がこんな所にあったのかと初めて気付いたのだ。
初めて橋から真正面に向かって木を見たのは、3月はじめ頃だったと思う。
寒い日で、木には葉がなく丸坊主だった。
今まで見向きもしていなかったので、その時は何という木なのかもわからなかった。
その丸坊主の枝に、茶色の大きな鳥がとまっていた。
ハトより大きく、カラスよりは小さいくらいだったと思う。
寒さのためか、ふくらすずめのようにぷっくりふくれて、うずくまるような形で、目を閉じながら「ぷぅぷぅ~」だか「ぽぉぽぉ~」だか、変わった鳴き方でその枝にとまっていた。
いったい何という鳥なのか、さっぱりわからなかったのだが、その鳥が珍しくて、橋から身を乗り出すようにその鳥に見入った。
それ以来、その橋を渡るときには必ず意識してその木の枝を見るようになった。
残念ながら、その珍しい鳥にはそれ以降お目にかかれていない。
どんどん季節が過ぎて葉が茂り、むし暑くなった頃のある朝突然、その木の葉の間にもこもことピンク色が出現し、数日後には満開になっていた。
今度はその花が珍しくて、身を乗り出して見入っていた。
さっそく家に帰ってからネットで調べて、初めて「ねむの木」であることがわかった。
それ以来、毎年そのねむの木が満開になるのを楽しみにしていたのだが、それもなくなって、ただの鬱陶しい梅雨になってしまった。
2年前に橋から撮影したねむの木
満開のハケ状の花が圧巻(*^^*)
夕方に撮影したため、葉が垂れ下がっている。
夜に葉を閉じるところから、ねむの木(眠りの木)という名前になったらしい。
本日撮影した、見るも無残なねむの木の切り株。
根元の辺りから枝分かれしてるんだなぁ。
このまま置いておいてくれれば、また芽が伸びて育ってくれそうだが…
ウィキペディア先生によると、
「ネムノキはキチョウの食草で、時として多数がついて食い荒らされる」
とある。
黄色の蝶がよく飛んでいたので、それが切る理由だったのかも。